人の三倍努力しろ、という言葉
私が子供の頃、近所に住んでいた90才にもなるじいさまから、しゃがれ声でこう言われた。
「がんばれよ。他人の三倍努力しろよ」
当時はよくわからなかったが、なぜかその言葉が胸に残った。
成長するにつれ、その言葉は頭の片隅を離れず、知らず知らずのうちに時には重荷にもなった。
社会人になりしばらくの後、自分の限界を知らずに無理をしすぎて心が折れた。
うつ病と言われた。
長い時間をかけてなんとか立ち直ったが、その出来事は、心の耐性を確かに弱くした。
職を変えた。
そして仕事だけに人生を預けるのではなく、
「好きなことなら続けられる」
という根拠のない直感を頼りに、別の道を模索し始めた。
その“好きなこと”は、植物だった。
ブルーベリーやイチジクの栽培を独学で学んだ。
親木を育て、苗木を増やし、
数年の後、気づけば数百本の苗が育つほどになっていた。
同時に、会社員として働きながら個人事業主にもなった。
農業簿記を学び、
苗木販売のためのECサイトを立ち上げ、
集客のためにこのブログも始めた。
昼休みはYouTubeを見る代わりに、
短い時間で記事を書き続け、
数日で無数の記事が積み上がった。
ブログには広告審査も申請した。
生活は決して余裕があるわけではない。
家族を支え、子どもたちを育て、
家や車のローン、親への借金も抱えながら、
貯蓄はすべて子どもたちのために守っている。
「はぁ、疲れた」で始まる一日なんてザラにある。
贅沢といえば、通勤途中の100円缶コーヒー、一本だけ。
それでも、好きなことに向けた努力だけは何故か続けられている。
無理をしないために選んだ道が、
いつの間にか“積み上がる道”になっているような気がする。
そしてある日、ふと気づいた。
子どもの頃にじいさまに言われた
「三倍努力しろ」
という言葉は、
嫌なことにしがみつけという意味ではなかったのではないか。
むしろ、
「好きなことを見つけたら、誰よりも深く掘れ」
という、人生の本質に近いメッセージだったのではないか。
そう思えるようになった時、
その言葉は重荷ではなく、
静かに背中を押してくれる“指針”に変わった。
今も生活は決して楽ではない。
未来が確実に見えるわけでもない。
それでも、好きなことを軸にした努力は、
確かに人生を前に進めている気がする。
三倍努力するべきものは、嫌いなことではなく、
「自分が心から好んでやっていること」ということだったのではないか。
その気づきが、今日もまた、私の一歩を支えている。
たぶんね。


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